私たちについて
初めまして、当ブログをご覧頂きありがとうございます。このブログは”育児奮闘日記”とも書いていますが、一種の本と思って読んで頂けたら幸いです。
まず、最初に私たちの家族構成について書かせて頂きます。
私たちは4人家族で、私(24歳)・パパ(25歳)・長男(2歳3ヶ月)・次男(0歳4ヶ月)の構成です。
今は私の実家に住んでいるので、私の父親も一緒に暮らしています。
母親は?て思った方がおられるかもしれませんね^^;
少し話は逸れますが、当ブログにもこれから何回も登場するであろう母親についてちょっとだけ触れさせて頂きます。
私の母親は私が小学校低学年の時に離婚して家を出ています。
かと言って私自身は母と仲が悪いわけではなく、むしろ両親が離婚してすぐは母親と一緒に家を出ました。母との生活は最初は良かったのですが、離婚後まもなく、母に恋人が出来ました。私自身は母に新しい恋人が出来ようが母が幸せならそれでいいと思っていました。最初はその恋人もちゃんと働いており、家に泊まりに来る度にお菓子やゲームソフト、ぬいぐるみなど何かしらお土産を持って来てくれていました。それに加え元々子供が好きだそうで、私に対してもとても優しく接してくれていました。
でも、それも最初の方だけでした。たまに泊まりに来ていた母の恋人は、気づけば家に住み着いていました。それと同時に仕事にも行かなくなり、日中はずっと家で寝ていました。つまり母親のひもになっていました。 一緒に生活していくと、優しい人だと思っていたその人は、お酒の力でたまに豹変し、母と言い合いになるとよく手も出ていました。まだ小さかった私は、その喧嘩の時間がとても怖く”母を守らなきゃ、お母さんが死んじゃったらどうしよう...” そう頭の中では思っていましたが、どうしても怖さが勝ち自分の部屋で喧嘩している声や母が殴られている音を聞くことしか出来ませんでした。
そんな生活が続く中、私は気づけば小学校6年生になっていました。ある秋の日、些細なことで母と喧嘩になりそれを聞いていた母の恋人が「躾のために玄関の外におらしたらええやん」と言いました。それを聞いた母は、私を玄関の外に出しました。気温は秋なので暑くも寒くもないちょうど良い気温でしたが、まだ幼い私は、追い出された=もうこの家には住めないと勝手に解釈をし、私の父が近くに住んでいたので、父に助けを求めに行きました。すると私の話を聞いた父は、「もうこの家に戻ってきとき」そう言ってくれました。父との生活が始まり今まで恐怖に怯えていた時間がなくなり、気楽に生活できるようになりました。
父は生活が苦しい中で、私が中学生の時は高校受験のために塾に通わしてくれたり、通っていた高校で商業科に入った私は簿記が好きになり、簿記の専門学校に通いたいというわがままを聞いてくれてた為、私が就職して家を出るまでの8年間はずっと父一人で私の面倒を見てくれていました。本当に感謝しかないです。
母に関しては、私が家を出て行ってからずっと私を追い出したことを後悔してくれていたらしく、休みの日には良く私を色んなところに連れて行ってくれたりしました。ですので、全く音沙汰無しになったわけではなく、母とも程よく関わっていました。
そして、就職して社会人になった私は仕事先で知りあってお付き合いすることになった男性と同棲するため、父の元でお金を貯めてから家を出ました。この人は後に、私が最初に結婚する相手で長男の父親になる人です。実を言うと、私はこの人とは既に離婚しており、上記の家族構成の中に書いているパパはこの時の人ではなく、また別の男性になります。離婚後新しく恋人が出来、その人との間に授かった子が次男です。また、このことについて詳しくは後日書かせて頂きます。
最初に結婚していた男性と離婚後、長男を連れて家を出た私は住むところが無く、父に相談した結果、「実家に戻って来たらええやん」って言ってくれて、今の現状に至ります。こうやって改めて文章にすると、父には何度も助けてもらっていることがわかります。本当に父には頭が上がらないです。
実家は一軒家なので、父は下の部屋、私たち4人は上の部屋で生活しています。特に父の職業はトラックの運転手で夜中に仕事に行くスタイルなので、生活リズム自体は違います。ですので、下の部屋と上の部屋で分かれて生活しています。
最初の方にも書かせて頂きましたが、当ブログは、”育児奮闘日記”です。結構な頻度で私の今までの人生のことも出てきますが、こういう人もいるんだなぁと思って読んでいって頂けると嬉しいです。
最後までお読み頂きありがとうございました。それでは、また次の投稿でお待ちしております。